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あれから5年… [Cares]

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世界中のどこを飛び回ってみても、決してあの人に
会うことが出来なくなって、後数日で5年。
私はあの人に、絶大なる信頼を寄せていたし、
あの人がいてくれるから、褒められたいから、
頑張ってきていた気がします。

ただ、後になって、あの人は私に対し、
「実は、短大を出て、普通にお嫁に行って欲しい。」
と思ったことがあったのを知りました。
私は、勝手にここまで進んで来てしまったみたい。
アホかも。

日本では他の家族もいるしで、喪失感からの虚脱を
感じる暇は全くと言っていい程なかったし、今もそう。
あの人がいなくなった直後、安定剤をもらいに、
メンタルクリニックに行った際にも、
「虚脱は、大丈夫そうだね。」って言われたくらい。
ただ、全てに関しとてものろまな私は、
台湾に来て、2年が過ぎた今頃、
心から信頼し愛していた、元気の基が
なくなってしまったことが、とても辛くて辛くて。

もちろん、反抗期には、いっちょまえに反抗だってしたけれど、
20歳を過ぎた頃からは、夜中に恋話を聞いてもらったり、
祖母への愚痴を聞いてあげたりと、
持ちつ持たれつ的な関係が、心地よくて。

台湾戻り早々の高熱と下痢は、体が5年の経過を
伝えているような気さえしてきたり。
あり得ないことだけれど、以前、
私が生理で体調が凄く悪い時には、あの人も
気分が悪くなると、一卵性双生児のような事を
言っていたこともあったっけ。

私がNY滞在中、救急車でERに運ばれた時、あの頃
もしかしたら、彼女の癌が発生していたのかも。
彼女自身が気付いた時には、末期だったから。

世の中にはいろんな家庭環境があり、
両親との関係が芳しくない人だってたくさんいるのは、
分かっています。
けれど、幸せなことに私は、そうではなかった。
たくさん愛されていたし、とても感謝しています。
ただ、今まで辛いことがあっても、最終的な自信は
あの人からもらっていたので、他の人がいくら
褒めてくれても、支えようとしてくれても、
同じ効果は得られない。としか今は感じられないのです。
ごめんなさい。

私が初めて「嗚咽」がどういう物なのかを知ったあの頃、
一緒に泣いてくれた高校時代からの友人と、
在NYの日本人とイタリア人の友は、私の中で特別だけれど、
何だか台湾に来てから一層猜疑心が強くなった私は、
会う人会う人、心からは信頼出来なくなっちゃってて。

こんなんじゃダメだと思いつつも、この1週間
ちょっとおかしい私です。

って、書いてる事もちょっとおかしいなと思いつつも。
その内、自分で勝手に進んで来ちゃった道な訳で、
自分で自分のことはどうにかするんで、
支離滅裂&ネガティブblogお許しあれ。
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